はれ ときどき こうた

決して綺麗な文ではありませんが何かを感じ取っていただけると嬉しいです。

年を重ねるほど無くなるこだわり

普通なら年を重ねるごとにその人の『こだわり』っていうのはどんどん強くなるもんじゃないかなと思う

 

髪を切るのはここじゃないと!とか

 

服はここのブランドのものしか着ない!とか

 

シャンプーやコンディショナーは絶対にこれじゃないといや!とか

 

そんな感じで

 

僕自身『こだわり』を持つということは、その人に深みがでるしそれがその人自身のアイデンティティとなるのでとてもよいことだと思う

 

高校生の時なんかに学校帰りのコンビニでふと開いた雑誌に出てきた『こだわる大人』が当時はとてもカッコよく見えたものだ

 

しかし実際に今、年を重ねて見るとどうだろう

 

正直今の僕には何の『こだわり』もない

 

そういうと何だかすごく寂しい感じがするかもしれないが決してそういうわけではないのでどうか哀れまないでほしい

 

それどころか寧ろ僕は『こだわり』というものを持たないことに誇りを持っている

 

服は基本何でもいい、恥部が隠せるならば

 

住む場所はどこでもいい、屋根があり安心して眠ることができるならば

 

髪を切るのはどこでもいい、地肌まで傷付けられなければ

 

ひとつひとつ挙げていくとキリがないし、今書いていて気付いたがもはや『なんでもいい』『こだわらない』ということが私自身の『こだわり』になっているのかもしれない

 

生きていく上で本当に大事なもの、必要なものってなんだろうってふと考えてみたらそれって意外と少なくて

 

結論食べる物さえあれば人は生きていける

 

 

 

 

あれもいらない、これもいらない、あれもこれもあれも…

 

ってどんどん捨てていったら物や人、お金に対する『執着』というものがなくなって、気がついたら何かに『こだわる』ということもなくなっていた

 

お金は欲しいものを得るための道具であって小銭を食べても『腹を満たす』ことはできないし、『ブランド』というのは単なる付加価値で周りからどう見られたいというプライドみたいなものの現れであって

 

なんだかなにが言いたいのかよくわかんなくなっちゃったけど、そう考えるようになってすごく楽だし、視野が広くなったような気がする

 

僕が今欲しいものはノースフェイスのカッコいいジャケットじゃなく、お風呂上がりの冷えたお茶

 

誰もが羨む資産やキャリアじゃなく、苦味の効いた一杯のコーヒーと彼女と過ごすたわいもない時間

 

それだけで十分

 

幸せになるにはたくさんあればいいというわけではなく、その中から何を選ぶかだと思う

 

 

 

 

 

明日も頑張ろうと思う

 

 

自分の人生を生きるため

 

 

死んでしまう直前に楽しかったと言えるように

 

 

最後まで読んでくれてありがとう

 

明日も頑張ろうね